施 ~遊煩悩林~
いま感じたことを
こんにちは。
ご機嫌いかがですか。
株式会社五識の田中です。
今日はふと感じたことを書きます。
テーマは「施」。
- おこなう。実行する。
- ほどこす。もうける。
- めぐむ。めぐみあたえる。
- しく。広く行き渡らせる。
などの意味を持つ言葉です。
現代では、「ほどこし」という言葉に「上から目線」「与えてやる」のニュアンスが含まれているように感じます。
強者が弱者に、富める者が貧しき者に、という二元論に絡め取られているようです。
わたしは、「施」の本当の意味は「幸せのおすそわけ」だろうと思っています。
ちょっと田舎に行けば、「近所の人から○○もらったから、よかったら(あなたも)もらってください」という「おすそわけ文化」は未だに残っていませんか。
たくさんもらっても自分では処理しきれないから「もったいない」という心理が働くのでしょう。
とてもエコ(eco)で、SDGsの本質的な行いではないでしょうか。
電車などで見かけますが、SDGsのバッジをつけていても、他人を思いやれない人間は少なくないと思いませんか?
二十年くらい前には「勝ち組」や「負け組」という言葉がもてはやされたように、手に入るモノは何でも手に入れることが「是」とされた時代もありました。
未だにその感覚(ego)で生きている人も多いようですが、たしかに時代は変化しつつあると思います。
本来は行政が行うべきコトを「ボランティア」に任せていることには納得できませんが、本来のボランティアは、やはり「幸せのおすそわけ」でしょう。
(ほとんどの人は)おすそわけに見返りを求めることはないと思います。
敬虔な仏教信者であった宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節には「無財の七施」の考え方が現れています。
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
「無財の七施」とは……
- 眼施(げんせ)やさしい眼差しで人に接する
- 和顔悦色施(わげんえつじきせ)にこやかな顔で接する
- 言辞施(ごんじせ)やさしい言葉で接する
- 身施(しんせ)自分の身体でできることを奉仕する
- 心施(しんせ)他のために心をくばる
- 床座施(しょうざせ)席や場所を譲る
- 房舎施(ぼうじゃせ)自分の家を提供する
わたしは凡夫です。
敬虔な仏教徒といえるほど、ストイックな生き方もできていません。
笑うのが下手だと言われます。
どちらかというと言葉遣いはキツいです。
自分の家を提供するほど心の余裕はありません。
幼いころ、120円を握りしめて、コカ・コーラの瓶を買い求め、うれしさのあまり、途中で落として割ってしまうような凡夫です。
せめて、1.2.3.4.5.くらいはできるような人間になりたいと思います。
いまのわたしは、
近所の子どもが1枚の硬貨を握りしめて、飲みたいジュースを飲めるように、自動販売機の価格を「一般価格より安く」設定するくらいしかできません。
「そんなのは自己満足にすぎない」という声も聞こえてきそうです。
たしかに自己満足なのかもしれませんが、今まで生きてこられたことに対する「幸せのおすそわけ」だと思っています。
「施」の本来の意味のように、「幸せのおすそわけ」が「広く行き渡る」世の中になれば、もう少し過ごしやすい世の中になるのではないでしょうか。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
またお会いしましょう。